外国人は気が利かない?

コミュニケーション

ただ知らないだけですよ。

移民反対の構造003

日本には「しきたり」がある

日本社会は、

「背中で語る」

「空気を読む」

「察する」など、

「非言語依存が非常に強い共同体」

という話を書いた。

そのため、

排外主義の一部は、

単なる「外国人嫌悪」ではなく、

日本のやり方に不慣れな外国人が、

「気が利かないクセに態度がでかくて失礼」

と受け取られてしまうことに起因している。

日本独特の移民議論

日本の移民議論には、

少し独特な特徴があると思っている。

海外では、

移民政策が、

「何人受け入れるのか」

「国家としてどう管理するのか」

という形で語られることも多い。

しかし日本国内では、

実際には、

そこまで「人数」が話題になっている印象がない。

多くの場合、

人々が反応しているのは、

「コンビニ店員の態度」

「ゴミ出し」

「騒音」

「危険運転」

「接客トラブル」

「学校」

「地域ルール」

「日本語」

など、

外国人の

「近所迷惑な行動」

「意思疎通ができない不便さ」

「文化がの違いによる悪目立ち」

が話題になっているだけである。

つまり日本では、

移民問題が、

「国家政策」

というより、

「住環境変化」

として認識されやすい。

これは、

日本の地理的な要因が大きい。

まず四方を海で囲まれていて

比較的大陸に近い部分も大陸棚や海溝があり、

個人的な密入国の難易度が高い。

そのため

日本の不法滞在は

「国境突破」というより

「入国後の在留超過」が

スタンダードなためだ。

日本人は「自然に覚えた」と勘違いしている

日本は「察する文化」だ。

「質素倹約」

「和を尊び」

「調子に乗らない」

だけどこれは、

「常識」や「道徳」の範囲ではあるが、

「自然に覚えたもの」ではない。

例えば、

  • 順番を守る
  • 時間に遅れない
  • 空気を読む
  • 大声を出さない
  • 店員への態度
  • ゴミ分別
  • 学校での集団行動
  • 謝罪や遠慮の文化

これらは、

生まれた瞬間から

理解していたわけではない。

「学校」、「家庭」、

「地域」、「部活」、「職場」などで、

長い時間をかけて、

半ば強制的に学習している。

つまり日本社会の常識は、

「自然に身につくもの」

というより、

「しつけ」や、「上下関係」、「教育」で

「強制的に身につくもの」なのだと思う。

日本語だけでは溶け込めない

私は別に、

「外国人労働者は日本へ来るな、」

と言いたいわけではない。

実際、

現場レベルでは、

既に人手不足だけでは説明できない状況も多い。

「日本人ファーストが置き去りにされている」

という小難しい理論は

実はマジョリティじゃないと思う。

ただ「外国人に対する何気ない恐怖感」を

合理的な理由付けで言い替えているだけだと思う。

私の前にいた介護現場では、

非常に真面目で、

利用者と自然に関係を

築ける外国人職員も多かった。

しかし逆に言えば、

そういう人たちは、

単に日本語が上手かっただけではない。

「距離感」

「空気」

「反応」

「共同生活感覚」

「利用者への接し方」

「日本特有の『迷惑」感覚」

などを、

かなり努力して学習していた。

つまり、

本当に必要なのは、

「言語能力」

だけではなく、

「周りに合わせること」

なのだと思う。

だから必要なのは「社会学習支援」だと思う

私は今後

もし外国人労働や移民を

国が受け入れるなら、

単に労働力として扱うだけでは、

かなり危険だと思っている。

移民がギャング化する過程として

現地人との

コミュニケーションの不具合が

原因として挙げられることも多い。

必要なのは、

「日本語」

「日本の常識」

「日本の礼儀」

「日本の作法」

「理由に関する知識」だ。

これは日本人でも必要だ。

大人になってから身に着けたものも

もちろんあるが、

その多くは

義務教育機関で醸成される。

であるのならば、

日本への定住や移住、永住、帰化

などに際し、

行政が主体となって

「最低限の義務教育を課すべきではないか?」

と考えている。

もちろん、

「日本語」

「道徳」

「文化」

「元になっている社会学」

を主軸とすべきだと思うが、

「日本社会へのつながり方」を

教育する機関を作るべきだと思う。

しかもこれは、

外国人だけではなく、

日本人にも開かれていていいと思う。

今の日本では、

孤立している人や、

学生時代に

常識を学ぶ機会を

逸してしまった人も多い。

だから私は、

「社会へ参加するためのリスキリング(学び直し)」を

社会全体のインフラとして

考える必要があるのではないかと思っている。

移民問題とは、

単なる外国人問題ではない。

むしろ、

「共同体をどう維持するのか」

という問題なのではないだろうか。

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