日本人はなぜ「態度」に異常に敏感なのか

時事ネタ

移民反対の構造002

空気で動く共同体

以前

コンビニで働いている

態度が悪く見える外国人は

「外国人だから悪く見える」のではなく、

「言語以外の

コミュニケーションがうまくいかないだけ」

と書いた。

特に日本社会では、

言葉よりも、

表情、態度、空気感、反応速度などの

「非言語コミュニケーション」への依存度が高い。

ではなぜ、

日本人はそこまで「態度」に敏感なのか。

これは単なる性格論ではなく、

日本社会そのものの構造と

関係しているように思う。

日本人は「説明」より「察知」で動いている

海外の動画などを見ると、
日本人観光客について、

「静か」
「礼儀正しい」
「列を守る」

という評価を見かけることがある。

もちろん理想化も入っているだろう。

しかし、
実際に日本社会では、
かなり多くの場面が、

「空気を読んで動く」

ことを前提に成立している。

例えば、

  • 混雑時に少し避ける
  • 大声を出さない
  • 店員の忙しさを察する
  • 列の流れを見る
  • 周囲の空気に合わせる

これらは、

法律で決まっているわけではない。

しかし日本では、

こうした「微調整」が非常に重視される。

逆に言えば、

日本社会は、

「細かく全部説明しなくても動いてくれる」

ことを前提にしている部分が大きい。

わかりやすく言えば、

「調子に乗る」のを極端に嫌い、

「他人の気持ちになって考えること」を

極端に重視する。

なぜそんな文化になったのか

これは昔の村社会の影響も大きいと思う。

日本は長い間、

高密度で閉鎖的な共同体を維持してきた。

「嫌なら出ていく」という

移動型の社会とは異なり、

逃げ場が少なく、

同じ人間関係が続く。

農業共同体も多かった。

すると重要になるのが、

「大きな衝突を起こさないこと」

になる。

「村八分」のように

共同体から追い出されれば

生存が危うくなるためだ。

その結果、

日本社会では、

「空気を読む」

「先回りする」

「察する」

「感情を隠す」

「摩擦を避ける」

といった能力が、

生存戦略として

強く発達したのではないかと思う。

つまり、

日本人は元々繊細だったというより、

「生きるために

周りに忖度しなければならなかった。」

と言った方が近い。

書いていて思うが、

日本人の空気読みは、

ストリートギャングの下っ端のような、

常に周囲の機嫌や力関係を読む、

生存戦略に近い気がする。

日本のサービス業は「演技力」が要求される

これは接客にも強く出る。

海外旅行経験のある人なら分かると思うが、

海外では店員がかなり事務的なことも多い。

悪気はない。

単に、

「必要な情報交換が成立すればよい」

「嫌なら文句を言えばいい」

という文化だからだ。

しかし日本では、

接客に「空気調整」まで求められる。

「笑顔」

「声色」

「目線」

「間」

「反応速度」

「柔らかさ」

こうしたものまで含めて、

「ちゃんと対応された」と判断される。

つまり日本の接客は、

単なる業務処理ではなく、

「感情摩擦の緩衝装置」

として機能している部分がある。

だから、

最低限の会話は成立していても、

「なんか怖い」

「冷たい」

「雑に感じる」

という違和感が発生しやすい。

ASDの私ですら、日本人の空気圧を感じる

私はASDなので、

空気を読むのは得意ではない。

それでも、

日本社会の「圧」は感じる。

例えば、

  • 反応が遅い
  • 返事のトーンがズレる
  • 表情が固い
  • タイミングがズレる

こういうだけで、

人間関係の空気が微妙に変わる。

しかも日本人は、

それを直接言語化しない。

「なんとなく感じ悪い」

として処理される。

つまり日本社会は、

「非言語の減点方式」

で動いている部分がある。

これは外国人だけでなく、

日本人同士でも普通に起きる。

だから実際には、

ASD傾向のある日本人や、

空気文化が苦手な日本人も、

かなり苦労している。

「外国人問題」の一部は、実は日本共同体側の問題でもある

ここで重要なのは、

「だから外国人が悪い」

と言いたいわけではないことだ。

むしろ逆で、

日本社会そのものが、

「非言語依存が非常に強い共同体」

なのだと思う。

だから、

外国人側はもちろん、

日本人側ですら、

場の空気が読めないと、

摩擦が起きる。

実際、

近年は日本人同士でも、

「接客トラブル」

「空気疲れ」

「コミュニケーション疲労」

「察し文化疲れ」はかなり増えている。

つまりこれは、

「外国人問題」というより、

「日本共同体そのものの構造問題」

でもある。

だから「日本語教育」だけでは足りない

第1話でも書いたが、

日本社会では、

「言葉が通じる」だけでは、

日本社会に溶け込めない。

むしろ、

「距離感」

「空気」

「反応」

「態度」

「迷惑感覚」

「周囲への圧力調整」などの方が、

現場では重要になることすらある。

そしてこれは、

教科書だけでは学びにくい。

だから今後、

移民政策や外国人労働を考えるなら、

「日本語教育」

だけではなく、

「日本社会の共同体ルールや、

非言語コミュニケーションへの理解」

という視点が、

かなり重要になるのではないかと思う。

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