ナフサ不足?目詰まり?

説明

見解の割れる構造

誰が悪いのか」ではなく、最後に誰が負担するのかという話

最近の

「ナフサ不足」や

「印刷インク不足」の話を見ていて、

どうにも違和感があった。

政府は「原料は確保されている」と言う。

「現場に行き渡っていないのは目詰まりだ」

という説明もする。

一方で現場は「足りない」と言う。

メディアは

「政府はウソをついているのではないか」

という疑いを前提に報道する。

しかし、少し構造を追ってみると、

どうも単純な「ある・ない」の話では

ないように見える。

何せ、

「川上」

「川中」

「川下」

「目詰まり」

「フォーミュラ価格」など

業界用語と構造説明が

大量に出てくる。

それを短時間で説明されても、

普通の人にはかなりわかりづらい。

しかも説明する側は

専門用語に慣れているため、

「その言葉を知らない人がどう受け取るか」

が抜け落ちやすい。

結果として、

「政府は『ある』と言う」

「現場は『ない』と言う」

「メディアは『矛盾だ』と言う」

「視聴者は何が起きているのかわからない」という

互いに部分的には本当のことを言いながら、

噛み合わない状態になっているように見える。

在庫は「ある」のか「ない」のか?

まず、「在庫はある」という政府説明について。

ここで言われている「在庫」は、

完成したインクや樹脂ではなく、

その原料になる

ナフサなどの「川上」資源の話である。

つまり、

「材料の元」は存在している。

しかし、

それがそのまま現場で使えるわけではない。

ナフサは、

そこからさらに加工されて、

「溶剤」

「樹脂」

「化学原料」などになり、

最終的に

インクや包装資材として流れていく。

つまり問題は、

「存在しているか」だけではなく、

「加工して流通させられるか」なのである。

「目詰まり」とは何か?

今回の

「目詰まり」と呼ばれているものを、

かなり単純化して言えば、

「原料から中間製品を作る段階で、

採算と価格交渉が詰まり始めている」

という話に近い。

原料価格や輸送コストが急上昇すると、

従来価格のままでは採算が悪化する。

すると、

「川中」工程では、

「生産調整」

「稼働率低下」

「価格交渉」

「契約見直し」

が始まる。

ただ、

「値上げすれば済む」というほど簡単でもない。

素材産業では、

いわゆる「フォーミュラ価格」のような、

原料価格連動の商習慣が存在する。

しかしこれは法律というより、

長年の取引慣習に近い。

そのため、

急激な価格変動が起きても、

即座に柔軟対応できるとは限らない。

つまり、

「原料価格は上がる」

「しかし販売価格改定は遅れる」

「採算悪化が起きる」

「生産調整が始まる」

「『川下』では不足感が出る」

という流れが起きやすい。

ここで重要なのは、

「完全に物理的にゼロだから止まっている」

とは限らないことである。

むしろ、

高コスト化と

価格調整の硬直化によって

供給の流れが細くなる

という、

サプライチェーン全体の

「動脈硬化」に近い状態なのではないか。

川上・川中・川下は見ているものが違う

さらにややこしいのは、

各段階で

「見ている危機」が違うことだ。

「川上」は「在庫量」を見る。

「川中」は「採算」を見る。

「川下」は「納期」を見る。

「現場」は「供給されるか」を見る。

「消費者」は「店頭価格と在庫」を見る。

つまり、

同じ問題を見ていても、

立場によって危機の定義が違う。

そのため、

全員が

部分的には

本当のことを言っていても、

説明が噛み合わなくなる。

しかも、

一般消費者から見えるのは、

最後の「店頭」だけである。

すると、

途中の構造が見えないまま、

「誰かが嘘をついている」

ように見え始める。

実は私自身、

最初は「川下=現場」だと思っていた。

しかし構造を追ってみると、

「川下」ですら

まだ供給網の一部であり、

そのさらに先に、

「印刷工場」

「食品工場」

「小売り」

「店頭」

「消費者」が存在していた。

つまり、

「川下まで来ている」のと、

「実際に現場で使える」のは

別問題だった。

おそらく、

この認識ズレが、

政府は「在庫はある」と言っているのに、

「現場」では足りないという

議論のすれ違いを加速させている。

「見積」が存在しないはずがない

個人的に最も違和感があったのは、

この問題が

まるで突然起きた自然災害のように

扱われていることだった。

しかし実際の産業構造は、

  • 見積もり
  • 発注予測
  • 契約更新
  • 価格交渉
  • 在庫計画
  • リスク計算

以上の要素の積み重ねで動いている。

つまり本来は、

「突然足りなくなる」より、

「どこかで誰かがリスクを警戒して流れを細くする」

の方が自然だ。

原料価格が上がれば、

「川中」は採算悪化を警戒する。

すると生産調整が始まる。

「川下」は価格上昇を嫌がる一方、

供給不安を感じる。

「現場」は不足感を持つ。

「メディア」は危機として報道する。

この流れの中には、

単純な物理不足だけではなく、

「誰が赤字を飲むのか」

という問題が含まれている。

なぜ説明が断片化するのか

ここで起きているのは、

単純な陰謀ではない。

むしろ、

各主体が

「自分に不利な部分」を

積極的に説明したがらない構造

に見える。

政府は「備蓄はある」と言う。

企業は「現場では足りない」と言う。

メディアは「矛盾している」と言う。

しかし、その間にある

  • 加工採算
  • 契約構造
  • 物流コスト
  • 値上げ交渉
  • 商習慣
  • 消費者反発
  • 株価や支持率

などの要素は

説明コストが高く

短時間では伝わりにくい。

結果として、

「わかりやすい部分だけ」が

切り出されやすくなる。

そしてその省略が、

「誰かが嘘をついている」

という不信感を生みやすくしている。

本来必要なのは「価格調整」ではないのか?

ここで気になるのが、

「では誰が全体調整をするのか」

という問題である。

今回のような局面では、

単純な自由市場論だけでは、

責任の押し付け合いになりやすい。

しかもフォーミュラ価格は、

絶対的ルールではなく、

業界慣習の側面も強い。

ならば本来は、

  • 緊急価格改定
  • 原料サーチャージ
  • 一時的価格調整
  • 業界横断協議

などのような、

「異常時モード」の調整機能が必要なのではないか。

しかし現実には、

「企業は値上げの悪者になりたくない」

「政府は物価高批判を避けたい」

「メディアは対立構図を作りやすい」

「消費者は値上げを嫌う」ため、

「誰がどのコストを負担するのか」

の全体説明が空白化しやすい。

結果として、

  • 品質低下
  • 内容量現象
  • パッケージ簡素化
  • 納期遅延

のような、

「見えにくい形」で

コスト調整が進みやすくなる。

最後に責任を負うのは誰か

結局のところ、

どこかで発生したコストは、

誰かが負担しなければならない。

原料高騰も、

輸送コストも、

加工費上昇も、

消えるわけではない。

問題は、

「誰が払うのか」

である。

政府は支持率を守りたい。

企業は顧客離れを避けたい。

メディアは対立構図を優先しやすい。

その結果、

「誰が負担するのか」

が曖昧化される。

しかし現実には、

  • 値上げ
  • 品質低下
  • 内容量現象
  • 供給量不安
  • パッケージ簡素化

という形で、

最終的なコストを

引き受けるのは消費者である。

つまり、

最後に責任を負うのは消費者だ。

だから本来必要なのは、

「誰が悪いのか」

という犯人探しではなく、

「どのコストを、誰が、どこまで負担するのか」を

構造として

説明することではないだろうか。

しかし現実には、

その中間説明こそが

最も省略されやすい。

そしてその省略が、

「誰かが嘘をついている」

という不信感を生み出しているように見える。

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