― 正義・仲間・機能・カリスマ ―
共同体の正義002-1
共同体は全部同じように見えて守っているものが違う
前回、「共同体の正義と社会の法律・常識・道徳がズレることがある。」という話をした。
ただ、ここで整理しないといけないことがある。
それは、共同体の仕組みは同じではないということだ。
世の中には、
「政治運動」
「会社」
「行政」
「学校」
「地域コミュニティ」
「SNSグループ」
「宗教団体」
「ファンコミュニティ」などの、
様々な共同体が存在するが、
「集結理由」
「ルール」
「運用」
「目的」が違うので
同じ問題が起きても反応が全然違う。
共同体を
かなりざっくり乱暴に4つへ分類してみると
- 思想共同体 :理念を優先する共同体
- カリスマ型共同体:中心人物を優先する共同体
- 業務共同体 :役割や機能を優先する共同体
- ムラ社会型共同体:仲間を優先する共同体
の4つに大きく分類されると思っている
もちろん単体ではなくこの要素は複合される。
思想共同体
1 思想共同体は「正しさ」を守る。
一番わかりやすいのは、思想共同体だと思う。
これは、「自分たちは正しい方向へ向かっている」という認識でまとまる共同体だ。
「政治活動」
「社会運動」
「一部の宗教」
「活動家集団」などが近い。
この共同体では、理念が中心になる。
「自由を守る」
「平等を守る」
「弱者を守る」
「不正を正す」
「伝統を守る」
「国を守る」など、
理念は様々ある。
ただ、私が見ていて気になるのは、
「結局何をしたいのかよくわからない」
状態になる時があることだ。
例えば、
「構成員が目的を説明できない」
「影響力のある人の言葉をそのまま使う」
「スローガンだけが先行する」
「具体策になると急に曖昧になる」など。
もちろんちゃんとしている団体もある。
しかし中には、
「正義の旗」に所属したいだけの人や、
誰かの思想を
そのまま受け売りしているだけに見える人もいる。
2 思想共同体は「正しさっぽさ」を維持し始める
さらに厄介なのは、
内部で影響力のある人物や
その業界の権威が味方として出てくると、
その発言が検証されにくくなることだ。
本来なら、
「それ本当に正しいの?」
と確認されるべきなのに、
「○○さんが言っているから」
で通ってしまう。
すると共同体の内部では、
「正しさ」より、
「正しさっぽく見える説明」
が優先され始める。
もちろん気持ちはわかる。
その業界の権威が言ったら、
正しいと思い込むのもわかる、
しかしながら、背景情報として
「その権威の業界でのポジション」
「他の権威の意見」
「対象実験のエビデンス」など
多角的に見ることに対して
ある意味盲目になってしまうので、
共同体内部で、
「自分たちは正しい」という
前提が強くなりすぎて、
内部矛盾を認めること自体が苦しくなる。
だから、
「都合の悪い話を見ない」
「敵側の問題へ話をずらす」
「極端な例を出す」
「人格攻撃へ逃げる」などが起き始める。
本人たちは、
必ずしも悪意だけでやっているわけではない。
おそらく、
「何かおかしい」という矛盾は感じながらも
「うるさい」とかぶりをふるって
「自分たちは正しいはずだ」
と自分に言い聞かせて、
現実とのズレを
ムキになって修正していないと思う。
3 「世界を救う」と言いながら敵味方構造を作る。
思想共同体を見ていて
個人的に
強い違和感を覚えるのはここだ。
「社会を良くしたい」
「世界を救いたい」と言いながら、
実際には
かなり強い敵味方構造を
作ることがある。
「あいつらは敵だ」
「理解できない側が悪い」
「反対するのは差別だ」
「批判するのは無知だ」など、
]内部論理が強くなっていく。
もちろん、
現実社会には
対立そのものは存在する。
だから、
全ての対立が悪いとは思わない。
ただ「正義」を掲げるほど、
逆に異論を許容できなくなる瞬間がある。
思想共同体は、
非常に強い「攻撃力」を持つ。
なぜなら、
「正しいことをしている」
という感覚は時として、
「相手に強く当たっても許される」
という感覚へ変化することがある。
逆に言えば、
その共同体は、
「正義が崩れること」
にとても弱い。
だから内部で問題が起きると、
謝るより先に、
「説明の正当化」や
「責任転嫁」が始まりやすい。
私はたぶん、
最近の社会のギスギス感の一部は、
ここから来ている気がしている。



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