ブログを途中でやめた理由を構造で分解する。
何でブログを途中でやめたか?
ブログを途中でやめた。
理由は「疲れた」「飽きた」「面倒」いろいろだけど
「やる気がなくなった」ということだ。
やる気がなくなった結果「やりたくなくい」に変わった。
当時の状況をまとめると
- 仕事が想定より重かった
- 通勤で片道約1時間かかる
- 当直勤務があり生活リズムが不安定
- 1日1時間の時間を確保できなかった
- 運動する余裕もなく、無理をすると体調を崩す状態だった
- 休日は通院や手続きで埋まる
- 当直明けは回復にほぼ使い切る必要があった
ただ実際には、
とてもそんな時間は作れなかった。
さらに、時間や体力とは別に、
しんどい作業を考えないといけなくなった。
「やるべきと思っていた作業」
- デザインはどうするか
- ブログランキングに登録するべきか(結局やってない)
- 他のブロガーと交流した方がいいのか(これもやってない)
先行で走り出したはいいが、こうした「やるべきこと」が
「当然やるべき義務」として増えていった。
ただ、それらを考えた時に
「この状況でそこまでできるのか?」という疑問が出てくる。
結果として、
「とても無理」という感想が出た。
また、先行で走り出して
やっていくうちにものになっていって、
「いずれ自由にブログを扱えるようになる」
って妄想してたんだけど…
そもそも…
- どの程度PVを取ればいいのか分からない
- 成功しているブログの基準が見えない
- 写真をどれくらい入れるべきか分からない
要は「基準がわかってない」状態だった。
実際は計画倒れというか開始段階で失敗は明白だった。
そんな風にうまくいかないとさ…
現実逃避で他のことして遊んじゃうんだよね。
仕事の支障を考えちゃうから 動画をいつも見てた。
動画って言うのは
- すぐに結果が返ってくる
- 考えなくていい
- 失敗しない
だから動画見てると今もそうだけど
成功した感覚を味わえる
それこそボーっとしててもね…
この時点で私は更新をやめ
しょうがないとあきらめていた。
途中で挫折する理由(原因を分解してみる)
「忙しかった」というのは
乱暴な結論にみえる。 だから分解してみよう。
1 時間と回復のコスト
通勤、当直、体調
使える時間とそれを許せる体力は
想定より少なかった。
「使える時間」と「回復に必要な時間」を 分けて考えていなかった。
2 思考コストの高さ
手探りでブログを始めてしまったので
迷走してしまい
コンセプトを決めていない
誰でも書けるようなものを
書いてしまっては反省し、
悩んでしまう。
本来は自分の個性を出しながら
文章を作っていくので
軽い作業じゃない。
3 遅延するリターン
ブログは
やってすぐに結果が返ってくるものではないから、
つかれてると、
「そんなことやっている場合じゃない」の
「そんなこと」になってしまう。
4 基準の不明確さ
「ブログとは何が正解なのか?」
これがわからない。
だからそういったものを手探りで判断しつつ、
「他の人がやっていること」を動画で調べて
やってみようとする。
でもその気が遠くなるような作業を見てると
やる気が失せる。
5 初期負荷の過小評価
デザイン、導線、発信の仕方。
立ち上げ段階では、
- 作業そのものに時間がかかる
- 何をやるべきか判断する必要がある
- やり方を調べて理解する必要がある
といった負荷が重なっていた。
6 空き時間の過ごし方としての比較構造
動画は悩んだり考えたりしなくても、
楽しい一時の時間を提供してくれる。
ただそれを見ていればいいのに対し、
ブログは自分でやらなければ楽しい時間は訪れないし、
訪れるとも限らない。
ただの徒労で終る場合もある。
限られた休み時間でどっちを取るかと言われれば
動画鑑賞を選んでも悪くはないと思う。
上記の状況要素をまとめてみると
「やめた」というより、
「撤退に近い状態だった」
とも考えられる。
「やる気の問題」「ルーティーン化」
「根性」「勉強不足」「準備不足」
いろいろな、成功例の説明は見たが、
それは
「たまたまその条件があえば成立する」
という粗い解像度だと思うし、
当時の自分にその条件を許容できる
余裕はなかった。
いったん整理しよう
ここで整理すると
「やる気」の構成要素は、
短時間、高レスポンス、収益
が理想だったんだけど、
実際は、
時間も、要学習も高コストで
レスポンスまでの過程が果てしなく長く、
収益はレスポンスの果てにしか用意されていない。
100m先の隣の家に遊びに行く予定だったが
隣の家が100km先だったのであきらめた感覚に近い。
それをやる気の問題で解決するのは無理がある。
ただこれが、そのまま例えの意味だったら不可能だけど、
そのまま「不可能」として理解するか?
自分はこれまで、
途中でやめることも多かった。
そのたびに、
否定されたり、理由を許されない形で詰められることもあった。
その状態のままだと、
同じことが繰り返される。
だから後から、
何が起きていたのかを分解する癖がついた。
それは改善のためというより、
自分を壊さないための対処だった。
今回のブログの顛末は「できなかった」
ではなく「分解していなかった」
と考えると「再構築」できると思う。
つまりは…
「しょうがない」という判断は間違いじゃない。
でもそれは、分解されないまま止まった状態に
名前をつけただけだった可能性がある。
やらなかったのではなく、
やれなかったのでもなく、
やれない構造のまま止めていた。
問題はここからで、
この構造は本当に動かせないものなのか?



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