発達障害の考察002
失敗の種類は同じ
私は子供の頃から、
「トロい」
と言われることがあった。
大人になってからも、
「要領が悪い」
「何を言っているのかわからない」
と言われることがあった。
私は理不尽に感じつつも、
何故そう言われるのか?
わかってはいるが
説明できない状態だった。
しかし、
前回の仕事は
心理的にかなり余裕があったので、
自分と
自分以外の人の失敗を
比較することができた。
職場では
発達障害者は私だけだったが、
周りの人のミスは
自分のミスと
あまり変わらないことが判明した。
施設の掃除と管理が
主な仕事だったが、
「片付けを忘れる」
「窓を閉め忘れる」
「洗濯物を取り込み忘れる」
どれも普通の人が経験する失敗だ。
だから結果だけを見ると、
違いが見えない。
発達障害者だからといって、
特別な失敗をしているわけではないのである。
違うのは回数である
違うのは、
失敗の種類ではない。
回数である。
普通の人でも忘れ物をする。
しかし、
発達障害者の場合、
同じ失敗が繰り返されやすい。
本人は気を付けている。
改善しようとしている。
それでも失敗する。
すると周囲は、
「またか」
と思うようになる。
そのうち、
真っ先に疑われるようになったり、
責任を擦り付けられるようになる。
ここまでは、
ある意味当然だろう。
問題はここからである。
努力不足に見える
普通の人なら、
一度失敗したら改善する。
だから何度も繰り返す人を見ると、
人は自然にこう考える。
「気を付けていない」
「反省していない」
「努力不足だ」と。
しかし、
本人の中では事情が違う。
私自身、
失敗しないよう努力していた。
むしろ人より気を付けていたと思う。
だが、
結果しか見えないし、
やっている動作は一緒だ。
しかも、
周囲と同じ速度でやろうとした結果、
焦ってミスを連発する。
それを客観的に見ると
「サボっていた報いだ」と映る。
でもその判断もわかる。
例えばコンビニのレジに長蛇の列ができていたとする。
客から見れば、
店員が足りない事情は関係ない。
早く会計してほしい。
そう思うのは当然だろう。
発達障害者への評価も、
ある意味ではそれに近い。
性格的な欠陥だと判断される。
人は
見えて判断ができる範囲でしか
評価されないので、
だらしない。
やる気がない。
空気が読めない。
反省していない。
そして最後には、
「トロい」
という言葉になる。
これは能力評価ではない。
人格評価である。
しかし、
本人からすると、
理不尽に感じる。
評価「トロくさい」
まあでも、冷静に
客観的評価と
主観的な感想を
見比べてみよう。
1.レスポンスが遅い
発達障害の原因は
人によって違う。
しかし結果として、
一般人と同じ動作をしても
結論まで着くまでの工程が多い。
ただそれは、
当事者にしかわからないので
「ただ単に行動が遅い」
という話になる。
2.ボーっとする。
他よりも多い工程数を
周囲と同じスピードで
回さなければならない。
単純に
ものすごい負荷がかかる。
そこに、
自他ともにプレッシャーがかかる。
例えば
おいて行かれそうになったバスを
追いかけるような感じだ。
毎回そうだ。
無事に乗れた時に
ボーっとしないだろうか?
それすらも許されない。
3.独り言を言う。
一般的に
「発達障害はマルチタスクができない」
と言われる。
実は私は
これが怪しいと思っている。
なぜなら、
あてはまる全員が
マルチタスクの塊である
自動車運転に関して
欠格になってしまうからだ。
実際法律的にも
自動車運転の欠格事項になっていない。
自動車運転も成立している。
マルチタスクはできているのだ。
ただそのすべてが、
他の人より多い工程に回されている。
それでも追いつかないから、
一生懸命やっているのを
アピールする目的と、
パンク寸前の頭を落ち着かせるために
独り言を言ってしまう。
4.トロくさい」の烙印を押される。
「動きが遅くて」
「ボーっとしていて」
「独り言を言う」
私が説明するまでもないが、
これは「トロくさい」と判断されて
致し方ないだろう。
これは発達障害だけの話ではない
私は、
この問題は発達障害だけではないと思っている。
境界知能の人。
病気や障害を抱える人。
加齢によって処理能力が落ちた人。
その他、
何らかの理由で
人より多くの工程を必要とする人。
そうした人たちも、
同じような評価を受けることがある。
言われる側からすれば、
理不尽に感じることではあるけれど、
客観的に見ると
致し方ないのではないだろうか?
特別なことも言っていないし、
評価する側の忍耐にも、
限界がある。
正直なところ
社会的に認められた差別が
そこにはある。


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