「ずるい」と感じる感情の正体
移民反対の構造004
移民反対の理由
移民反対の理由としてよく挙げられるものがある。
- 不法滞在
- 外国人犯罪
- 難民制度の悪用
- 地域コミュニティとの摩擦
- ゴミ出し
- 騒音
- 危険運転
- 日本語が通じない
- 生活保護受給
SNSでもよく見かける話だ。
実際、
「正規滞在者がおかしいと言っているのではなく
不法滞在者がおかしいと言っている。」
という意見を根拠に
移民の反対を謳う人が出てきた。
たしかに
不法滞在や犯罪は問題だと思う。
法律違反なのだから、
取り締まるべきだろう。
私もそこに異論はない。
しかし、
考えているうちに、
少し疑問が出てきた。
本当に人々が嫌っているのは、
「ルール違反」 なのだろうか?
合法でも嫌われることがある
例えば外国人が、
行政窓口で何かを要求したとする。
制度上認められている。
手続きも正しい。
法律上も問題ない。
しかし、
それでも反感を持たれることがある。
「図々しい」
「空気が読めない」
「厚かましい」
という反応だ。
外国人への生活保護も似ている。
SNSでは、
「外国人に生活保護を出すのはおかしい」
という意見をよく見かける。
私も最初はそう思っていた。
しかし調べてみると、
現在の運用は、
誰にでも無条件で
支給しているわけではない。
少なくとも実態としては、
日本への
永住許可を受けている者などを
対象として運用されている。
もちろん、
それでも納得できない人はいるだろう。
しかし少なくとも、
「不法滞在者へ無制限に配っている」
という話ではない。
つまりこの問題も、
単純なルール違反というより、
「なぜ外国人がその制度を利用できるのか」
という
感情的な反発が混ざっているように見える。
日本人は何を嫌っているのか
ここで少し気になることがある。
日本人は、
ルール違反に怒っているのか。
それとも、
「察して遠慮しなかったこと」
に怒っているのか。
例えば、
- 給与交渉
- クレーム
- 有給取得
- 昇進交渉
などでも似た話がある。
本来認められていることでも、
「言わない方が美しい」
「察して引くべきだ」
という価値観が存在する。
法律に関する価値観も相当なものだ。
国内のニュースでよく言う
「日本は順法精神が強い国」
というのがこれに当たり、
「法律は守って当たり前」
「法律違反は徹底的に晒されて裁かれるべきだ」
という
法律違反に対する執拗なまでの
嫌悪感がある。
しかし、
私はこのことについて
正直疑っている。
日本の順法精神はどうなの?
時々
外国人の犯罪や
マナー違反というのが話題になる。
法律違反をしても、
日本語がわからないふりをしたり、
法律を知らない状態で来たので見逃してほしい
みたいなことがよくある。
それは私も
テレビで「いやだなぁ」と感じる。
この話題が出ると
決まって、
「外国人は
法律に対して
自分の要求を
チャレンジする文化だ」
とニュースで放送される。
そこで恐らくこう思う人も多いだろう
「日本人とは反りが合わないな」と…
本当にそうだろうか?
日本人は順法精神が強いと言われる。
しかし行政にいると、
「法律は守れ」
と言いながら、
「自分だけは事情を察して例外にしてほしい」
という人は珍しくない。
例えば
山の木が倒れて
道路及び周辺に被害が出た時
山の所有者が
「ウチの山の木が倒れたのは
40年前国道を作るために
行政が山を切り開いたからだ。」と
無償復旧と損害賠償を要求してきた。
こんな例もある、
「道路にネコの死骸が転がっている。」
という通報があったので回収して帰ったら。
後から苦情が来た。
「拾わせてくれてありがとうございますだろ」
と言われた。
こういう無茶な要求を「察しろ」という世界だ。
もちろん
自分の思うとおり
事が進まないことに苛立ちを覚え
説明を訴えてくる人も多い。
行政側の視点からすると、
法律に対して
チャレンジしてくる外国人と同じだ。
何が違うかと言えば、
周囲に対して
この要求している姿が見えないよう
取り繕っているだけだ。
ルールと感情は別問題である
もちろん、
不法滞在や犯罪は別だ。
法律違反なのだから、
対応する必要がある。
しかし、
合法的に生活している
外国人との摩擦まで、
すべて同じ問題として扱うと、
何が起きているのか見えなくなる。
そこには、
法律ではなく、
日本人特有の共同体感覚が
関係している可能性がある。
いやむしろ、
「外国人はルールを守らない」
という話を考えていたはずが、
私にはむしろ、
「人は自分の都合の良いルールを求める」
という当たり前の事実が見えてきた。


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