三日坊主は「管理期間」

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モチベーションの理屈002

途方もない道のりに始める前から疲れ切っている私

「何かを始めようとするとメンドくさい」

自分の場合、

何かを始めようとすると、

「必要な準備」

「継続コスト」

「管理」

「失敗時の補填」

「生活との両立」などを、

開始前から大量にシミュレートしてしまう。

その結果、

「うわ、これいつまでやるんだろう……?」

と途方もない道のりに膝をつき

始める前に疲れて始められない。

つまり自分は、

「その日の行動の可能性」

としてではなく、

「長期間維持行動を維持できるか?」

として物事を認識してしまう傾向が強かった。

成果や習得について、

回数もそうだが

時間を要することは

当然のことと思っているからだ。

このため、

最初は「やる気」とか、

「覚悟」、「計画性」「実行力」に

失敗原因を求めていた。

しかし最近、

少し考えを改める必要を認識した。

人は「長期間継続」を、

そのまま管理できない。

可能にするアプローチとして

よく「目標設定をこまめに行う」

という話を聞いたことは無いだろうか?

走るときは

見えないゴールを見るよりも

見える範囲の

「あの電柱まで走ろう。

ついたらそこから見える電柱まで走るようにしよう」

と目標設定をこまめにした方が

継続して走り続けられるというものだ。

これかなり曖昧な要素で、

適正な時間がわからない。

だから、先に進めない。

1日単位は苦しい

例えば1か月を計画期間と組んで

1日単位で管理する。

これはよく初めての挑戦で、

その世界に飛び込むときによくある計画性だと思う。

最初は当然、

勢いのまま始めるため、

「毎日ちゃんと管理すればいい」

と思って始める。

ダイエットでも、

運動でも、

生活改善でも、

毎日記録して、

毎日反省して、

毎日修正する。

最初はできる。

張り切っているからだ。

しかし、

自分の場合は長続きしなかった。

1日途切れると、

急にやる気が抜ける。

感覚としては、

重い荷物を下ろしたような感じだ。

それまで張り詰めていた管理負荷が、

一気に切れる。

判定を1日ずつやるほど

人は物事を考えられない。

生活リソースに負担がかかりすぎる。

仕事で崩れる日もある。

体調が悪い日もある。

予定が狂う日もある。

それなのに、

毎日判定を入れると、

毎日やることが

いいかげんになっている気がして

足を進めることができなくなる。

逆に1週間は長すぎ

例えば1か月を計画期間と組んで

1週間単位で管理すると?

長い。

例えば、

2日崩れても、

「まあ後で戻せばいい」になる。

すると、

ズレが積み上がる。

しかも、

崩れ始めた時に、

修正タイミングが遠い。

だから、

気付いた時には、

結構ズレている。

これはこれで、

管理感覚がぼやける。

あと、

これは主観的なのだが、

毎日できない習慣の場合、

自主管理が相当難しい。

最初の一週目はいいとして

二週目は忘れている。

逆に言えば

他人管理ならば、

一週間管理は十分視野に入れていい。

ところが、

思いつきを他者に管理委託するなんて、

時間と経費の無駄か、

若しくは

他人に負担をかける行為だ。

思いつきのチャレンジならば

自主管理したい。

そこで思いついたのが「3日」だった

自主管理のできる限界期間は?

考えていて、

ふと思った。

3日くらいではないか?

理由は単純で、

短すぎず、

長すぎない。

今日崩れても、

まだ戻せる。

でも、

放置するほど遠くもない。

しかも、

「3日くらいなら確認できる」

感覚がある。

「三日坊主」は本当に悪なのか?

ここで、

昔からある言葉を思い出した。

「三日坊主」

普通は、

「続かない人間」

「根性がない人間」

「飽きっぽい人間」への

悪口として使われる。

だが逆に言えば、

「飽きっぽい人間」でも

「3日は持つ」ということだ。

これは人間が昔から、

「3日付近で何かが切れやすい」

ことを観測していたのではないだろうか?

つまり、

「3日」

というのは、

人間の集中力や、

管理能力や、

熱量が、

一度変化する境界なのかもしれない。

自分は運動が苦しかった

長期間戦略の維持の難しさを考えていたのは

以前ブログで紹介した

運動継続の設計を考えた時だった。

結局再就職にあたって、

自分のマイナスポイントを

消去出来たらうれしい

そのため、

肉体改造を考えた。

とてもできないと

挫折した。

それ以前に、

運動習慣を作らなければならない。

と思い至った。

結局

運動習慣は作れた。

今も継続できている。

何故習慣化できたかと言えば、

3日目やってみて、

一度負担かどうかチェックした点が大きい。

もしここで

続ける負荷が高かったり、

代案が浮かばなければ

続けられていない。

運動は

数ヶ月

半年

1年

みたいな、

長期運用で語られることが多い。

もちろん理屈はわかるし、

今続けている運動についても、

「一生続けることができるもの」

としてのチョイスだ。

だが自分の場合、

「未来の成果」

を維持しながら運用することは、

認知負荷がかかりすぎるので苦手だ。

逆に、

夕食後の短時間運動は続いている。

違いは簡単で、

「最初の3日」の見直しにより、

「何も考えないでできる義務行動」が

インプットされたからだ。

重要だったのは、

「やる気」ではなかった。

「考えなくても動ける状態」

を作れたことだった。

「3日」と「飽き」は

「切っても切り離せない」ものと認識している。

「『飽き』とは、『観測点の変更』を意味している。」

という話を聞いたことがある。

「人は3日で計画の更新を行っている」と

仮説を立てた。

個人的な長期計画が挫折、失敗するのは、

人が

「3日で計画を更新している」と

仮定した場合、

「長期計画の挫折」というものは

ただのアプローチの失敗じゃないと思う。

例えば長期計画を

10年と仮定するならば

年間計画に分け、

月間計画に分け

週間計画に分け

最終的に3日計画に分け、

3日単位で見直しを行い。

自動化させればできるのではないか?

だから必要なのは、

気合

根性

意志力

ではなく、

「管理可能サイズへの分解」

なのかもしれない。


3日単位で修正する

重要なのは、

「3日で成果を出す」

ではない。

「3日ごとに方向確認する」

ことだ。

例えば、

崩れていないか?

負荷が高すぎないか?

生活が壊れていないか?

戻れなくなっていないか?

これを確認する。

すると、

完全崩壊する前に、

修正できる。

しかも、

「失敗したら終わり」

ではなく、

「3日以内に戻せばいい」

になる。

これは、

精神的にもかなり違った。

年間計画を成功させるには

最近、

少し思う。

年間計画を成功させるには、

「年間」

を見続けてはいけない。

たぶん必要なのは、

今どこにいるのか?

次は何をするのか?

どこへ戻ればいいのか?

を、

管理できる単位で確認することだ。

自分の場合、

それが今のところ、

「月で分解して週で分解して3日」

だった。

もちろん、

これが万人に当てはまるとは限らない。

ただ少なくとも、

「もっと頑張れ」

より、

「どの単位なら管理できるのか?」

を考える方が、

かなり現実的な気がしている。

なのでしばらく、

「3日単位で長期を管理できるのか?」

を実験してみようと思う。

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