映像と言葉の接続002 後編
前編より
当初、
自分が「申し送り」や「道案内」ができないことが、
「能力の問題」だと思っていた。
それを「構造」と見た時、
「映像から言語までの変換」
「特に分割→表現の流れが弱い」
と判断した。
しかし散歩中に
「行動の分割と言語化のトレーニング」
を続けているうちに、
「映像に対するボキャブラリーの弱さ」に気づき、
そもそも日常会話において、
「名詞」「形容詞」「動詞」が
常態的に一部省略されていることに気づいた。
会話は「情報共有」ではなく「情報圧縮」に近い
例えば、
「白いティーカップ取って」
いや、一般的には
「そこのコップ取って」
という会話が現実的だ。
この会話の中だけでも
- 大きさ
- 材質
- 曲線
- 光沢
- 持ち手の形
- 位置関係
など、
大量の情報が省略されている。
つまり
「成立する範囲だけ情報を残している」
ということだ。
会話とは、
「情報を全部渡すこと」ではなく、
「必要な部分だけ圧縮して渡すこと」
に近い。
自分は「映像を認識できない」のではなかった
よく説明ができないことについて問い詰める場合、
「見てなかったの!?」
といわれるが、
説明ができないことで
かなり誤解されがちではあるが、
「映像が見れていない」わけでも
「行動が理解できない」わけでもない。
むしろ、
「映像や行動をどの程度伝えれば過不足なく理解されるか?」
の匙加減が苦手なのだ。
だから結果として
「省略しすぎる」
若しくは
「いらない情報が多い」
この両極端になりやすい。
全部説明しようとすると会話が壊れる
最初は、
「視覚情報をもっと言葉にしなければいけない」
と思った。
しかし実際にやってみると、
今度は会話コストが急激に増える。
例えば先ほどの「白いティーカップ」のくだりでも、
要素を全部詰め込んだら、
コップを取って欲しいのか、
ティーカップを自慢したいのか判別がつかない。
つまり「会話そのものが成立しない」。
何なら自分で取った方が早い。
つまり、会話がうまくいかない問題は
「表現要素が不足している」
だけでなく
「成立させるための要素の省略方法」
にも原因があった。
現在試しているトレーニング
そこで今は、トレーニング方法も少し変えている。
当初は、
自分の行動を3分割して言語化をしていたが、
その前段階の、
「名詞」、「形容詞」、「動詞」の表現で
つまづいていることが分かったので、
最初の段階では、
「見えたものへ名詞を付ける」
ことだけを行う。
例えば散歩中なら、
- 電柱
- 自販機
- 横断歩道
- ガードレール
のように、まず視覚情報へ言葉を接続する。
次の段階では、
「特徴を1つだけ追加する」
例えば
- 赤い自販機
- 細い電柱
- 古い看板
のように、最低限の特徴だけ補足する。
まず「情報の削り」をする以前に、
映像説明ができないと
要素を削りようがないので、
このフェーズが凄く大事で、
「説明しようと思えば説明できる」
という状況にすることが大事だ。
次に予定している「削るトレーニング」
次に必要になるのは、
「どこまで削っても成立するか」
を観測する工程だと思っている。
例えば、
「赤い自販機」という表現でも、
状況によっては、
「自販機」だけで成立する。
逆に、
自販機が複数並んでいる場所では、
「赤いの」だけで成立する。
つまり会話では、
「全部説明する」のではなく、
「誤解される部分だけ補足する」
構造になっている。
このため、次の段階として、
- 人がどこで省略しているか?
- どの情報だけ共有して成立しているか?
- どこから誤解が始まるか?
を観測する、
「削るトレーニング」 へ進む予定である。
相互理解のできるコミュニケーション
おそらくコミュニケーションとは、
「情報量の多さ」ではなく、
「成立する最低限の共有情報」
を探す行為に近い。
そして自分は今、
その「省略構造」を、 後追いで学習している途中なのだと思う。


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