― 人は「所属」を通して世界を見る ―
共同体の正義003
共同体の「内部の正義」について
共同体は性質上4分類側面があって
「正義」を標榜する思想共同体
「個人崇拝」のカリスマ型共同体
「客観的理屈に基づいた業務遂行」の業務共同体
「仲間と掟を守る」ムラ社会型共同体
これが複雑に混じりあってできている。
こういった
種類や方向性が
一見バラバラな共同体であるが、
唯一共通している点がある。
それは、
「内部の正義」
ができてしまうところだ。
理由としては至極当然で、
どんな個人のどんな行動に対しても
合理的な理屈があるのと同様に、
共同体の中にも
「自分たちの中では合理的な理屈」が
必要になる。
なぜそうなるのか。
理由の一つは、
人間は無軌道なように見えて、
思っている以上に
「行動の理屈」に
こだわったりする。
そうでないことに
自分で許せなかったり、
それがバレることを
嫌がったりする。
しかし、
行動をいちいち全部
考えていられない。
だから、
共同体に所属することで、
認知コストを減らそうとしている。
共通ルール
共同体の形にもよるが
会社組織や行政などの共同体については、
基本的に法律をベースに、
業務の遂行や
依頼者の保護に適した
ルールが明文化されている。
それとは別に
共同体には
「礼儀」
「しつけ」
「暗黙の了解」
「内輪ノリ」
「空気を読む」などの
「忖度」を義務化した
共通ルールがある。
共通ルールの成立と強要
業務共同体に関しては、
「内規」というものがあって、
主に仕事の目標や
コミットに関する
ルールが定められているので
説明は省く。
その他の共同体についての
ルール成立については、
影響力のある人物が
個人または話し合いで決定する。
基本民主主義ではないので、
所属内部で立場の低い者が
提案したとしても
「お前マジで立場わかってんのか?」
とすごまれて終わる。
一方で、
影響力のある人物、
またはチームが
提案した場合、
「さすが」
「深い考えがあるに違いない」
と称賛される。
もしくは、
若干おかしいと感じても、
受け入れざるを得ないかである。
学生時代に、
不良の上の方の人間が、
矛盾した行動をとっても、
文句が言えないのと同様である。
これによって、
共同体の内部で
対応方法が操作され、
役割が振られ、
責任が持たされる。
そして、
違反者には
ペナルティが課せられるようになる。
こういった世界に浸ることによって
「何が正しいか」
「何が悪いか」
「誰を守るか」
「何を優先するか」
「どこまで許容するか」の
価値観が歪む。
こうして共同体内部では、
独自の価値基準が形成される。
私はこれを
「内部の正義」
と呼んでいる。
内部の正義」は「世界の見え方」を変える
ここで重要なのは、
「内部の正義」は、
単なるスローガンではなく、
「現実の解釈」
そのものを変え始めることだ。
例えば、
同じ出来事を見ても、
- 敵側がやれば「犯罪」
- 味方側がやれば「事情がある」
という解釈が起きる。
もちろん本人たちは、
露骨に嘘をついている感覚ではない。
むしろ、
「自分たちは正しい」
という前提から、
無意識に現実を
「はみ出した範囲内である」
「ごまかせばわからない」と
再解釈している。
だから、
外から見ると明らかに矛盾していても、
内部ではそこまで矛盾として感じない。
むしろ、
「自分たちは正しい」
という前提から、
無意識に現実を
「許容範囲内の問題」
と再解釈している。
そして、
共同体の目的達成に必要な損失だと
割り切り始める時がある。
すると、
外部批判を真正面から認めるより、
「問題はあるが全体としては正しい」
という説明へ寄っていく。
その結果、
問題そのものより、
「共同体の正当性維持」が
優先される。
共同体は「外敵」を作ることでまとまりやすくなる
さらに、
共同体は、
外部との対立によって
結束が強くなる。
これはかなり厄介だ。
本来なら、
問題点を修正した方が、
健全なはずだ。
しかし実際には、
「たいした失敗でないのに敵が攻撃してきた」
という構図を作る方が、
内部をまとめやすい。
すると、
「批判者」はもちろん、
「内部告発者」
「外部専門家」
「中立意見」
「意見のズレた人」まで、
「敵側」認定する。
ここまで来ると、
共同体は、
「問題対応」に
正面から取り組むことなく
批判側の言い間違い程度の落ち度を
針小棒大に誇張して
話題をスライドさせて
ごまかし、
「相手の攻撃を理由」に
「内部防衛」
を優先し始める。
そして、
この状態が進むほど、
共同体内部では、
「自分たちは社会より上の正義を持っている」
という感覚が強くなる。
内部の正義は「安心」「自信」「勇気」を与える
ただし、
ここを単純に
「悪」
として片付けるのも違う。
共同体の内部正義は、
「ここにいていい」
「仲間がいる」
「自分は間違っていない」
「自分達は正義だ」
という地盤を感じさせ、
「安心」と「自信」と「勇気」を与える。
人間は、
1人でいると不安になる。
だから、
多少無理があっても、
共同体の論理へ
合わせてしまう。
特に不安が強い時ほど、
人は、
「強い正義」
「強いリーダー」
「強い仲間意識」へ引っ張られやすい。
問題は「修正不能」になること
共同体そのものは、
悪ではない。
人間社会は、
共同体なしでは成立しない。
問題なのは、
「内部の正義」が、
社会規範より優先される時だ。
- 間違いをわかっていても認められない
- 都合の悪い話を排除する
- 敵味方でしか考えられない
- 内部論理が絶対化する
こうなると、
共同体内部の人は
現実とのズレを
修正できなくなり、
不名誉なレッテルを貼られる。
そして多分、
現代社会の極論化や分断は、
この「内部正義の固定化」が、
かなり関係しているのだと思う。


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