閉塞感の正体とは何か?

季節ネタ

― 「無理して合わせ続けること」の限界 ―

五月病の考察004

五月病」は怠けではなく「閉塞感」

五月病について、

「怠けたい」というより、

「閉塞感」に近いのではないか、

という話をしてきた。

「今すぐ辞めたい」

というより、

「このままずっと続けるのか?」という感覚

つまり「閉塞感」の正体とは何なのか。

今回は、

少し自分の話を聞いて欲しい。

「普通にできること」ができない

私は、

17~18年ほど前、

精神科でASD(自閉症スペクトラム)の診断を受けた。

これは色々な解釈があるし、

専門的な説明は医師の方が詳しい。

だから今回は、

「職場での働き方」

に絞って話したい。

以前にも書いたが、

私はニュースの内容を、

かなり正確に暗記できる。

しかし一方で、

職場の「申し送り」を聞き取るのが苦手だ。

両方とも、

言葉を聞いて覚える作業なのに、

なぜか処理感覚が全く違う。

理由は後から分かった。

ニュースは、

最初から整理されている。

話す順番も整理され、

要点もまとまっている。

しかし、

現場の申し送りは違う。

情報が散文的で、

途中で話が飛び、

優先順位も曖昧なことがある。

普通の人は、

それを聞きながら、

頭の中で要約して整理できる。

しかし私の場合、

その「整理工程」が

別に必要だった。

つまり、

聞きながら整理できない。

だから、

まずメモを取る。

その後、

改めて整理する。

要約する。

そこで初めて、

内容が理解できる。

「手動」でやっていた

ここで問題が起きる。

普通の人にとっては、

その「整理作業」は、

ほぼ無意識で終わっている。

しかし私は、

そこを「手動」でやっていた。

だから、

他の人が自然に進めている処理に、

時間差が生まれる。

すると、

周囲の仕事速度に置いていかれる。

本当は、

整理してから動いた方が、

ミスが減る。

しかし、

そんな時間を取ると、

「仕事が遅い」になる。

だから、

無理して周囲に合わせようとした。

「整理不足のまま処理する」

「考えながら同時進行する」

「マルチタスクをする」

つまり、

「普通の人が自然にやっている処理」を、

無理やり真似し始めた。

結果、

聞き取りミスや、

ケアレスミスが増えた。

命令を正確に理解できていないこともあった。

正直、

職場に迷惑をかけていた自覚はある。

そして何より、

自分自身が、

仕事のスピードに

間に合っていなかった。

「合わせ続ける」という消耗

私は、

20年近く勤めた官公署を、

最終的にうつ病で退職した。

当時の私は、

こう考えていた。

「無理してでも合わせなければいけない。」

会社にも利益がある。

利用者にも都合がある。

だから、

内部コストを減らすことは、

当然必要だと思っていた。

そして、

発達障害だと分かった時、

強い恐怖感があった。

「ああ、このままでは見捨てられる。」

「できないことがバレたら終わる。」

そんな感覚だった。

だから私は、

周囲に合わせるために、

「擬態」を始めた。

無理して、

同じ速度で処理する。

無理して、

同じ空気で動く。

無理して、

同じように振る舞う。

もちろん、

工夫もした。

しかし、

定型発達者向けの対処法は、

私にはハードルが高かった。

それでも、

さらに無理して合わせた。

一応、

ギリギリまでは合わせられた。

しかし、

どこかで必ずバーンアウトする。

「ダークマン」の仮面

昔、

「Darkman」

という映画があった。

全身火傷を負った科学者が、

人工皮膚を被りながら戦う映画だ。

そこで描かれていた、

「皮を被り続ける感覚」を、

私はよく覚えている。

合わせること自体はできる。

しかし、

常にどこか無理をしている。

痛みというより、

削れていく感覚に近い。

私は、

出世するあたりまでは、

何とか耐えられた。

しかし、

その先は無理だった。

実はみんな少しずつ処理落ちしている

ただ最近、

転職先で気づいたことがある。

聞き取りミスや、

ケアレスミスの悪循環は、

定型発達者の人でも、

普通に起こしている。

前回の仕事は、

以前より少し余裕があった。

だから、

周囲をよく観察できた。

すると、

私より仕事ができる人でも、

似たようなミスをする。

ただ、

私は「できない」が目立つので、

極端に見えていただけだった。

もちろん、

他人が自動でできることを、

手動で処理しなければいけないのは、

かなり大きな不利だ。

しかし一方で、

仕事が複雑になり、

処理量が増えるほど、

誰でも少しずつ限界に近づいていく。

それでも、

みんな何とか食らいついている。

閉塞感の正体

だから最近、

こう考えるようになった。

5月の閉塞感というのは、

「怠けたい」

ではなく、

「無理に合わせ続けることに疲れた」

なのではないか。

連休が終わり、

また同じ速度へ戻される。

また同じ空気に合わせる。

また同じ処理量をこなす。

そして、

どこかで思う。

「この先も、

ずっとこれを続けるのか?」

5月の閉塞感とは、

「無理に合わせ続けることの限界」

が見え始めることなのではないか?

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