「底辺の基準線」それは、かつての僕自身。48歳独身、子供部屋おじさんが挑む人生逆転劇

説明

「底辺の基準線というのはさ…」

この言葉に、どれだけの重みを感じるでしょうか。

先日も話しましたが、正直、今の僕は詰んでいます。

48歳、男性、嫁無し。実家暮らしの、いわゆる「子供部屋おじさん」。

職業は有料老人ホーム職員…世間から見れば、「有料老人ホーム職員の皮を冠ったムテキさん」かもしれません。

でも、僕の人生は、ずっと救いのないものでした。学生の頃から嫌われ者。「醜くて肥満体系低身長でデリカシーが無くていつも人の顔色うかがってオドオドしてる」——こんな僕を、誰もカワイソーとは思わないでしょうね。

付き合いは悪いし、ケンカもからっきし。だから、友達と対等な関係なんて一度もありませんでした。いつも自分が割を食い、貧乏くじばかり引かされて。自分の言葉は届いているのかさえ分からず、相手の反応にいつも不安でした。

友達だと思っていた人でさえ、僕を「最低ライン」と見ているような気がしてならなかった。少しでも僕が前に出ようとすると、露骨に機嫌を損ねる。そんな関係性ばかりでした。

コミュニケーションがうまくいかないのは、昔から。それは、努力とか根性ではどうにもならない、まるで先天的なもののように僕の足を引っ張ってきました。表現したいことがうまく言葉にできず、結局相手に伝わらない。

誰にも相談できず、勇気を出して相談すれば面白がられ、傷つけられ、あげくの果てには噂を広められる始末。そんな現実の中で、45歳まで生きてきて、ついにうつ病に耐え切れず自治体を退職しました。

すぐに再就職したものの、根本的な問題は何も解決していません。認知の歪み?自己肯定感の低さ?真実は闇の中です。

ただ、今の僕は、コミュニティから半ばはじき出され、誰にも期待されず、そっとしておいてもらっています。そして、皮肉なことに、今が一番自分の中で自由を感じているのです。

もうすぐ50歳。人生は終わりに近づいているのかもしれません。でも、僕は諦めたくない。まるで高い崖から転落している最中に、一緒に落ちてきた何かをかき集めるように、もがきながらでも何かを掴んでみようと思っています。このまま落ちれば、ただ地面に激突して終わるだけですから。

だから、僕はこれから自分自身を実験材料に、肉体的、知能的、精神的な向上を目指すという、無謀とも言える試みを始めます。

「底辺の基準線」——それは、かつての僕のこと。

僕のデータをある程度公開することで、「こんな無能な人間でも、最低限ここまではやれるんだ」ということを示せたらと思っています。

これは、崖っぷちに立たされた男の、最後の悪あがきなのかもしれません。でも、僕は信じたい。どん底からでも、何かを変えられるかもしれないと。

もし、この挑戦に少しでも興味を持っていただけたら、ぜひ、これからの僕を見守ってください。

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